~だっことおんぶをとりまく業界のプロたちと店主・園田による対談シリーズ~

新春特別企画対談「自由に、美しく生きる」第一部
作家 桐島洋子さん × 北極しろくま堂店主 園田正世

作家の桐島洋子さんの半生は、小説の中の物語の様に奔放でダイナミック。自立した女性のカリスマ的存在と称された常識にとらわれないその生き方や考え方に、高校生の頃から桐島さんの大ファンだったという園田が迫りました。


園田
この度はお会いできて、本当に本当に嬉しいです。
実は私は高校生の時に桐島さんの本を何度も読ませていただいて、非常に感銘をうけました。その頃からずっとファンだったんです。

桐島
まあ、嬉しい。読者の肉声はなによりも励みになります。どの本を読まれたのかしら。

園田
その当時出ていたものは全て拝読していたと思います。ちょうど高校を出て進学を考える頃で、「勉強はいつでも学びたい時にできる」という桐島さんの言葉を胸に就職して、子どもを産んだ後に会社を作ったんですが、今まさにその言葉を実行する時期だと思っています。だっこひもやおんぶひもを販売しているのですが、だっこやおんぶやハグというのはとても大切だということに気づいて、今はその分野を研究したいと考えています。

桐島
うちの娘も嫁もこういうのを(スリングを)使っていましたよ。

園田
スリングは元々、世界各地で布1枚を使って様々な民族がだっこしていたものを、ハワイの医師がより簡単に使いやすくということを考えて、リングを2つつけて現在の原型になったものです。
こういう商品を販売していると、赤ちゃんを出産したばかりの子育て真っ最中であるお母さんとお話する機会が多いのですが、迷うことが仕事になっているような節があるとよく感じます。情報がありすぎる中で、自分で何かを選び取る力がないというか。私自身も1人目の子育ては育児書を読んだりして、その通りにならなくてつまずくことがありました。そこに書いてある通りに育てるのが正解だというイメージがあったんです。これまでの生き方を著書から読ませていただくと、桐島さんからはそういった迷いというようなものを全く感じないのです。


内なる重心

桐島
私は育児書というものは一切読んだ事がないんです。なにしろ全く常識を逸脱した状況での子産み子育てで、ともかく生きていくだけで必死でしたから、育児書で理想を説かれても実行できるはずはなく、ストレスになるだけでしょう。結局は自分ができる範囲でするしかないのだから、せめて参考にするとしたら自分自身の経験だけでしたね。私の幼年期は非常に裕福な家庭で何不自由なく育ちましたが、戦後の混乱期に家が没落して財産も家屋敷も使用人も瞬く間に消え去り、辛うじて残った葉山の別荘に逼塞(ひっそく)し、家族五人懸命に援けあって厳しい暮らしに耐えました。
また、私はといえば、結婚もしないで三人も子供を作り、がむしゃらに働きづめの子育てでしたから、自分の育ち方はいろいろと参考になりましたね。幸か不幸か二代続いて「非常時の子育て」だったわけです。
 

園田
桐島さんがご出産された時は平和な社会だったけれど、ですね。

桐島
そうそう。好き好んで苦労したのだから愚痴や泣言なんか言っていられません。非常時の子育てに関しては先輩も先例も豊富だし、先輩の時代よりは世の中が豊かになっているだけラクだし便利だし、まあ案ずるより産むが易しとはこのことだなあと思いました。

園田
シングルマザーで3人をお産みになっただけではなく、お子さんと一緒にアメリカに渡ったりと、当時の日本では特殊な生き方だと周りからは見られたと思いますが。
 
桐島
周りがどう見ようが、考えようが、私の知ったことではありません。他人の思惑、世間の評判など気にしていたらキリがないでしょう。私は自らの「内なる重心」に任せるだけです。

園田
「内なる重心」ですか。

桐島
子どもの頃は葉山の海辺に住んでいたので、毎日海で泳いでいました。
浜から1人でずんずんまっすぐ海に歩みこんで行き、胸までが来たあたりでザブンと身を投げ、ひたすらに水平線に向かって泳いでいきます。そこでは誰が見張っていてくれるわけでもないから、自己責任で身を守るしかない。その日の体調や海の具合、天候、あらゆることを総合的に判断して、今日はここでやめておこう、今日はあそこまでいけるとか決めているうちに、危険と安全のぎりぎりの境界線を把握する感覚が身に付きました。

園田
それでその重心が確立したということでしょうか。

桐島
はい。おきあがりこぼしっていくら激動したって自然に任せておくとスッと直りますよね。そのように私も何が起ころうとジタバタしないで流れに身を任せておけば自分の重心がしかるべきところに無事着地させてくれるという妙な自信がついてしまったのです。たいていの人は周囲の視線や思惑を絶えず気にしながら他者との関わり合いの中でバランスをとっていくでしょう。私は自前の重心でバランスをとっているから右往左往する必要がなくて、とても生きやすいんです。自信過剰のジコチューに過ぎないのかもしれませんけど。

園田
その重心があるというのは本当に強いですね。泳ぐことでそれを見いだされたというのがすごいです。

桐島
大自然の贈り物です。目の前が海で背後が山という素晴らしい環境でターザンのように育ったからこそで、これが東京のマンションで育ったらそういう内なる重心は育たなかったかもしれません。
 
園田
15のときに桐島さんの本を読んで、私はこういう風にも生きられるんだと思ったんですが、やっぱり実際生きてみると桐島さんのように自由に生きるってとても勇気のいることで自分にはできないなと思います。


美意識は嫌悪の集合体

桐島
蛮勇というべきでしょうね。私ってつくづく野蛮な女だと自分でも思います。(笑)ただ幸いなことに自然だけでなく文化にも恵まれた環境だったのですね。蔵の中は本の山だったし、絵画や骨董もいっぱいあったし。もっともそれがどんどん消えていく売り食い生活だったから哀しかったけど、美しいものを愛する感性は身に付いたと思います。物が無くなってからも美術全集を擦り切れるほど眺め暮らして、いつか美術研究家になりたいと思っていました。それに父は百科事典のようになんでも知っている教養人、母は料理上手の優れた生活者で、ほんとうに素敵な両親でした。

園田
本を読んでいて桐島さんは振る舞いから何から、生き方そのものが美しいという印象でした。実際にお会いしても印象は全く変わりません。桐島さんが選ばれるもの全てに美意識を感じます。

桐島
美意識というのは嫌悪の集合体です。嫌いなもの、美しくないものをどんどんそぎ落としていくことで美意識は磨かれていきます。例えばパートナーを選ぶときも美意識の一致が大事ですが、好きなものは違ってもいいんです。でも嫌いなものは一緒のほうがいい。さいわい私の家族は好きなものはバラバラですが、どうしても嫌なもの、許せないことは一致しています。

園田
やはり迷いがないですよね。子育てをされているときも迷わずにいらっしゃったんでしょうか。

桐島
迷う余裕がなかったというか、いかにその状況で生きて行くかということしかなかったのですよ。迷うのは色々な選択肢があるからでしょう。今は雑誌やテレビ、インターネット・・・と、情報の大洪水です。洪水の渦に巻かれてあっぷあっぷしていて、どの情報が正しいか分からない。私が子どもの頃は一冊の本を幾度も幾度も擦り切れるまで読んでいました。あの頃のほうが本からずっと深いものを得ていたと思います。それから今よりも自然が豊かだったし、それが優しく美しいだけでなく厳しく鍛えてくれる自然でもあった。本当にいい生育環境でした。そういう意味では、私は「育ちがいい」なあと感謝しています。

第二部へつづく

対談「自由に、美しく生きる」第二部


桐島洋子さんプロフィール

作家。1937年生。'56年都立駒場高校を卒業して、文藝春秋に入社し、9年間ジャーナリズム修行ののち、’65年退社し、フリー・ライターとして世界を巡遊。'67年には従軍記者になり、ヴェトナム戦争を体験する。'68年からアメリカで暮らし、'70年処女作「渚と澪と舵-ふうてんママの手紙」刊行を機に帰国。'72年には、アメリカ社会の深層を抉る衝撃の文明論「淋しいアメリカ人」で第3回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。以来マスメディアの第一線で著作・テレビ・講演などに幅広く活躍しながら、独身のまま、かれん(モデル)・ノエル(エッセイスト)・ローランド(フォトグラファー)の3児を育て上げる。料理ブームのさきがけとなったベストセラー「聡明な女は料理がうまい」や、女性の自立と成熟を促した「女ざかり」シリーズをはじめ、すべて実体験に基づく育児論、女性論、旅行記などは、その斬新な発想と痛快な迫力で広く人気を集めた。子育てを終えてからは、”林住期”を宣言して仕事を絞り、年の三分の一はカナダで晴耕雨読し、人生の成熟の秋を穏やかに愉しみ、環境問題・ホリスティック医療・氣功・精神世界などにも関心も深めている。また、70歳を機に「人生最後のご奉公」と、東京の自宅で私塾「森羅塾」を主宰し、自らの人生を伝承する講座などを開いている。

桐島洋子さんブログ
http://yokokirishima.jugem.jp/

桐島洋子さんFacebook
https://www.facebook.com/yoko.kirishima


桐島洋子さん著書

「聡明な女は料理がうまい」
アノニマ・スタジオ

「50歳からのこだわらない生き方」
大和書房


次号予告

新春対談企画「自由に、美しく生きる」第二部

ご自身の中にすっと通った中心があるからぶれない。本当にかっこいい生き方に憧れてしまいます。後半はベトナム戦争取材時のエピソードにも話が及びます。お楽しみに。


編集後記

あけましておめでとうございます。
2007年から続いているこのメールマガジンの登録者が昨年末1万人を超えました。SHIROKUMA mail の特徴のひとつは子どもが大きくなっても読んでくれる方がいらっしゃるということです。年2回ほど企画する店主園田の対談も、子育て中でない方が読んでも面白い内容だとのご感想をいただいています。
今年も様々な企画を掲載していく予定です。どうぞよろしくお願いいたします。
 
SHIROKUMA mail editor: MK

EDITORS
Producer Masayo Sonoda
Creative Director Mayu Kyoi
Writer Mayu Kyoi, Masahiko Hirano
Copy Writer Mayu Kyoi, Masahiko Hirano
Photographer Yasuko Mochizuki, Yoko Fujimoto, Keiko Kubota
Illustration 823design Hatsumi Tonegawa
Web Designer Chie Miwa, Nobue Kawashima(Rewrite)