2025年9月、スペイン・ビーゴ大学の研究グループが、抱っこひもが抱く側の大人の身体に与える影響をまとめたシステマティックレビューを発表しました(Taboada-Iglesias et al., 2025)。世界中の先行研究14本を分析したこの論文は、「どのような抱き方が、抱く側の身体への負担を減らすのか」という問いに、科学的な視点から答えようとしたものです。
その結論は、シンプルでありながら興味深いものでした。
「腕で抱っこするよりも、エルゴノミック(人間工学的)な抱っこひもを使う方が、親の身体への負担が少ない」
しかし、この論文を読み進めていくと、もう一つの問いが浮かび上がってきます。「では、日本のおんぶはどうなのか?」
腕抱っこは、思った以上に身体に負担をかけている
赤ちゃんを腕で抱っこするとき、私たちの身体では何が起きているのでしょうか。
この論文によると、腕抱っこは抱っこひもと比べて、平均16%多く体力を消耗することが分かっています。さらに、膝関節への負担も増加し、外転モーメント(膝が外側に引っ張られる力)が8.7%、伸展モーメントが16.7%それぞれ高くなります。長時間の立ち作業中に腕で赤ちゃんを抱っこした場合、参加者の50%が痛みを訴えたという報告もあります。
一方、エルゴノミックな抱っこひもを使うと、これらの数値はいずれも改善されます。その理由は、重心の位置にあります。腕抱っこでは赤ちゃんの重さが体幹から離れた位置にかかりますが、抱っこひもでは体幹に近い位置に重心が保たれるため、身体全体への負荷が分散されるのです。
ただし、この研究にはいくつかの重要な限界があります。対象となった研究のほとんどは、欧米や東南アジアの若い女性を対象としており、日本人女性の体格や筋力特性への直接の適用には慎重を要します。また、実験室内でダミー人形を使った研究が多く、実際の日常的な育児場面とは条件が異なる点も考慮が必要です。
この研究には、「おんぶ」がない
研究の詳細を見ると、一つの事実に気がつきます。対象となった14本の研究で比較されているのは、前抱き・横抱き・腕抱っこなど、主に欧米で普及しているベビーウェアリングの方法です。日本の伝統的なおんぶ、とりわけ背中の高い位置で背負う「high back carry」と呼ばれるスタイルは、この研究の対象に含まれていません。
これは当然のことかもしれません。欧米でベビーウェアリングが広まった文脈でいう「背面抱き」と、日本のおんぶは、そもそも別の文化から生まれた別の身体技法です。日本のおんぶが欧米のそれと区別されて「high back carry」と呼ばれていること自体、それが独自のものとして認識されているあかしです。
では、日本のおんぶには、どのような意味があるのでしょうか。
身体と文化が選び取った「運び方」
人類学者の川田順造は、2011年の論文「ヒトの全体像を求めて」の中で、「人類働態学(human ergology)」という観点からこう述べています。
「地域により一様でないヒトの身体形質・身体能力と、その地域で入手可能な運搬具の素材、及び運搬が行われる地形等の生態学的条件下で選択された道具とが結びついて、その効率が認められ選び取られるからこそ、それがある範囲の人々に共有される『運ぶ文化』になり得るのだ」(川田, 2011)
これは育児における「赤ちゃんの運び方」にも当てはまります。各地域の人々が生み出してきた抱き方・背負い方は、その地域の気候・地形・生業活動、そして何より人々の身体形質と結びついて、長い時間をかけて「効率的なもの」として選び取られてきたのです。

川田はさらに、モンゴロイド(日本人を含む)の身体技法の特徴として、「体幹に比して四肢が相対的に短く、腕よりは腰を重視した身体技法」「重心の低い背負い運搬の発達」を挙げています。そして、日本のおんぶについては「背負い手の背の高い位置で、嬰児が背負い手の両肩に手を掛けるなどし、両脚は開いたまま背負い手の背にくくりつけられる姿勢での嬰児の運搬」として、他の地域の背負い方とは異なる独自のスタイルとして記述しています(川田, 2011)。
日本のおんぶが「高い位置」である理由
私はここに、日本のおんぶの人間工学的な合理性があると考えています(以下は私の推論です)。
小柄な日本人女性にとって、赤ちゃんをできるだけ体幹に近く、かつ高い位置で背負うことは、重心を自分の体の中心に引き寄せることを意味します。これは先ほどの論文②が示した「重心が体幹に近いほど身体負荷が低い」という知見と、方向性が一致しています。
加えて、背中の高い位置でおぶうことは、前かがみの農作業や家事をしながらでも、赤ちゃんの頭が揺れにくく安定しやすいという利点があります。農耕と育児を同時にこなす必要があった日本の女性たちにとって、これは理にかなった選択だったと言えるでしょう。
つまり日本のおんぶは、日本人女性の体格・腰を重視する身体技法・農耕と育児の両立という生態学的条件が長い時間をかけて選び取った、人間工学的に合理的な解だったのではないでしょうか。
現代科学が「重心を体幹に近づけることで身体負荷が下がる」と示したことは、日本のおんぶが経験的に到達していた知恵を、後から確認しているとも読めます。
高い位置でおんぶする方法はこちらのリール動画をご覧ください。
世界の育児グッズを選ぶ前に
現代の親御さんは、スマートフォン一つで世界中の抱っこひもや育児グッズにアクセスできます。エルゴノミックなデザインの製品は確かに優れた面を持っています。しかし、「どれが良いか」を考えるとき、忘れてほしくない視点があります。
育児の道具も身体技法も、それが生まれた地域の人々の体格・生活・文化と結びついています。海外で開発された製品や方法が、日本人の体格や生活環境に最適化されているとは限りません。
一方で、日本の育児文化には、小柄な体格で農耕と育児を両立してきた先人たちの、長い経験と知恵が宿っています。新しい情報や製品を取り入れることは大切ですが、自分たちの身体と文化に根ざした方法の合理性を見直すことも、同じくらい価値があるのではないでしょうか。
赤ちゃんを抱くとき、背負うとき。その何気ない行為の中に、長い人類の歴史が積み重なっています。
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引用・参考文献
- Taboada-Iglesias, Y., Domínguez-Estévez, A., Rodríguez-Gude, C., & Gutiérrez-Sánchez, Á. (2025). Physical and Physiological Consequences of Babywearing on the Babywearer: A Systematic Review. Healthcare, 13(17), 2193. https://doi.org/10.3390/healthcare13172193
- 川田順造 (2011). ヒトの全体像を求めて――身体とモノからの発想――. 『年報人類学研究』第1号, 1–57.
執筆:園田正世
