赤ちゃんが泣くたびに抱っこしていると、「抱き癖がつくよ」と言われた経験はありませんか。

特に祖父母の世代からそう言われると、「でも…」と思いながらも、少し罪悪感を感じてしまうこともあるかもしれません。あるいは逆に、「抱き癖になったら困る」と心配しながら、泣いている赤ちゃんをそっとしておくことが正解なのかと迷っている方もいるかもしれません。

結論から言います。「抱き癖」という概念は、科学的な根拠のないものです。 そして、泣いている赤ちゃんに応えることは、脳と心の発達にとって欠かせないことが、現代の研究によってわかっています。

「抱き癖」という言葉はどこから来たのか

「抱き癖」という言葉の起源は、1931年(昭和6年)の育児書にさかのぼります。「抱きぐせはつけないこと」という記述が登場し、その後、戦後を経て広まっていきました。

そして決定的な影響を与えたのが、世界的ベストセラー『スポック博士の育児書』の日本語版(1966年初版)です。日本語版には「抱きグセがつくのもやむを得ません」という表現があり、これが広く読まれたことで「抱き癖」という考え方が定着したとされています。

ところが、原書(英語)をあたってみると、そこには「抱き癖」という概念はありません。該当箇所の原文はこうです。

"Naturally, some of these babies who have been held and walked a great deal for 3 months straight are mildly spoiled."(B. Spock, Baby and Child Care, 1968)

「mildly spoiled(少し甘やかされた)」という表現が、日本語では「抱きグセがつく」と訳されました。しかしスポック博士が問題にしていたのは抱くという行為そのものではなく、甘えをどう受けとめるかという話でした。同書ではむしろ、泣く赤ちゃんに対して声の調子を使って話しかけるコミュニケーションを提案しており、「抱くか抱かないか」を論点にしていたわけではないのです。

つまり「抱き癖」という概念は、翻訳と解釈の過程で生まれた日本固有の考え方と言ってよいでしょう。

1980年には、この日本語版の内容が母子健康手帳にも取り入れられ、国内にいっそう広まりました。しかしその後、小児科学や発達心理学の研究が進むにつれ、この考え方は見直され、現在では多くの専門家が「抱き癖という概念は存在しない」と明言しています。

赤ちゃんが泣く理由 ——泣きは「コミュニケーション」

赤ちゃんが泣くのは、意地悪でも、わがままでもありません。

自分の状態を言葉で伝えられない赤ちゃんにとって、泣くことは唯一のコミュニケーション手段です。お腹が空いた、眠い、不快だ、不安だ、誰かにそばにいてほしい——これらすべてが、泣きという信号で発信されています。

発達心理学では、この泣きに対して養育者が一貫して応えることを「応答性」と呼び、乳児の情緒的な安定と認知発達の基盤になると考えられています。応答性の高い養育環境*で育った赤ちゃんは、「泣けば誰かが来てくれる」という安心感を獲得し、それが自分の世界への信頼感(基本的信頼感)へとつながっていきます。
*応答性の高い養育環境とは、赤ちゃんが何らかのサインをだしたら、それに対して応える大人もしくは子どもがいる環境です。無視されない環境をいいます。応えた結果が赤ちゃんが求めていたものと違ったとしても、対応してもらったという経験の積み重ねが大切です。

抱っこで泣きやむ理由——科学が証明したこと

「なぜ抱っこすると泣きやむのか」——これは長年の育児の謎でしたが、近年の研究が明快な答えを出しています。

理化学研究所の黒田公美チームリーダーらの研究グループは2022年、赤ちゃんが泣いているとき、母親が抱っこして5分間歩くと、泣きやむだけでなく約半数の赤ちゃんが眠りにつくことを科学的に確認しました(Current Biology, 2022)。

この研究では心電図を用いて赤ちゃんの自律神経の状態を詳しく測定しています。抱っこされて歩かれているとき、赤ちゃんの心拍はゆっくりになり、副交感神経が優位なリラックス状態になることが確かめられました。これは同じ研究グループが2013年に発見した「輸送反応」——親に抱かれて運ばれるとおとなしくなる反応——を、さらに詳細に検証したものです。

この「輸送反応」は哺乳類に広くみられる生物学的な反応です。子どもが親に抱かれているとき、体が安全な場所にあるというシグナルが神経系に伝わり、覚醒レベルが下がって落ち着くと考えられています。

また、抱っこや触れ合いによって、親子双方にオキシトシンが分泌されることも知られています。オキシトシンは「愛情ホルモン」とも呼ばれ、ストレスを和らげ、親子の絆を深める働きをします。赤ちゃんが抱っこで落ち着くのは、わがままどころか、生物学的に正しい反応なのです。

「放っておけばそのうち泣き止む」はほんとうか

赤ちゃんが泣いていても、すぐに抱かずに様子を見る——こうした対応が推奨されていた時代がありました。しかし現代の乳幼児研究では、この考え方は支持されていません。

繰り返し泣きに応えてもらえない赤ちゃんは、慢性的なストレス状態に置かれ、コルチゾール(ストレスホルモン)が高い状態が続くことが報告されています。生後早期の慢性的なストレスは、脳の発達、特に感情調整に関わる扁桃体や海馬の発達に影響することが複数の研究で示されています。

もちろん、すべての泣きに完璧に応えなければならない、ということではありません。親も人間であり、体力にも限界があります。

抱っこができないときは ——「関わる」だけでいい

「今は抱っこできない」という場面は必ずあります。トイレにいきたい、火の側から離れられない、上の子の対応に必死…。そんなときに知っておいてほしいことがあります。

赤ちゃんに必要なのは、「誰かが応えてくれる」という体験です。

抱っこだけが唯一の正解ではありません。

- そっと背中や頭を撫でる
- 「よしよし、わかったよ」と声をかける
-  顔を近づけて目を合わせる
- 名前を呼んで話しかける

これらも立派な応答です。研究者たちも、泣きに応えるための手段は多様であり、身体的接触だけでなく声かけや視線の共有も有効であることを示しています。

スポック博士が原著で提案していたのも、実はこれと近いことでした。「声の調子で赤ちゃんに伝える」——抱き上げること以外のコミュニケーションにも意味があると、彼は言っていたのです。

だから、もし今日どうしても抱っこできない時間があっても、声をかけながら撫でるだけで、赤ちゃんはあなたがそこにいると感じることができます。

抱っこは親の「余裕」もつくる

もう一つ、見落とされがちなことをお伝えします。

抱っこは赤ちゃんだけでなく、抱っこしている大人にもオキシトシンを分泌させます。つまり、赤ちゃんを抱っこすることは、親自身の情緒的な安定にも役に立っているのです。「赤ちゃんのために抱っこしてあげている」というより、「親子でお互いを落ち着かせている」という双方向の関係があるのです。

育児の疲労感が増してくると、抱っこすること自体がつらくなることがあります。そんなときは、抱っこ紐やスリングを使って体の負担を分散させることも、一つの知恵です。道具の力を借りながら、赤ちゃんとの時間をできる限り穏やかに過ごすことが、長い育児を支えてくれます。

まとめ ——「抱き癖」を心配する必要はありません

  • 「抱き癖」という概念は科学的根拠のない、日本固有の考え方です

  • スポック博士の原著には「抱き癖」という概念は存在しません

  • 赤ちゃんが泣くのは生物学的なコミュニケーションです

  • 抱っこで泣きやむのは、神経科学的に証明された反応です

  • 泣きに応えることが、赤ちゃんの脳と心の発達を支えます

  • 抱っこができないときは、声かけや撫でるだけでも十分に意味があります

赤ちゃんを抱っこしたいと思う気持ちは、自然で正しい本能です。どうか安心して、たくさん抱っこしてあげてくださいね。

 

参考文献・資料

  • 加藤翠ほか「"抱きぐせ"の概念についての一考察」小児保健研究 28(4), 1970

  • 大村菜美・黒田公美ほか「赤ちゃんの泣きやみと寝かしつけの科学」理化学研究所プレスリリース, 2022(Current Biology掲載)

  • 石原栄子「多様な親子関係に関する育児書の指導記述の変遷」作新学院大学女子短期大学部紀要 第28号, 2005

  • B. Spock, Baby and Child Care, 1968

執筆:園田正世