昭和30年代の型紙をリバイバルさせて現代に復活した、北極しろくま堂の昔ながらのおんぶひも。日本はもちろん世界中のお母さんたちから支持されるこの製品が、どのようにしてできあがるのか—今回はおんぶひもの工程をご紹介します。
型入れと裁断
広げた反物の上へ、おんぶひもの型紙をトレースした紙をのせます。
生地をできるだけ無駄にしないよう綿密な計算をしながら、反物に合わせて型紙を入れ込む作業を「型入れ」といいます。反物によって、生地の染め具合が違ったりプリントの出方が違ったりするため、型入れはもっとも気を遣う大変な作業。
型入れを考えるときに使うノートを見せてくれました。
製品としては一つの形しかない背当て頭あてつきおんぶひもの全体図が、幾ページにもわたって描かれています。あらゆる種類の反物や柄に対応するためです。
生地を裁つのは手動式の裁断機。
しっかりと研がれた鋭利な歯は、安全で確実な作業に欠かせません。
生地が裁断されると、工程はさっそくおんぶひもの縫製へとうつります。
パーツと全体の縫製
各パーツの縫製
部位ごとに裁断された生地が縫い手さんの元にやってくると、先ずはおんぶひもの背当てや頭あてなどの「パーツ」をつくる作業がはじまります。
上の写真は背当ての部分です。おもてに出る生地とうらに出る生地、中のクッション材をあわせてミシンで縫います。
縫い終わって裏返すと上の写真のようになっています。
Dカンのクッションをつくっている様子。
北極しろくま堂のおんぶひもには、あばら(肋骨)にDカンがあたっても痛くないように小さなクッションが取り付けられています。現在のクッションの形を出すために、裁断と縫製を何度も繰り返したという裏話も。
腰ひもを縫うときは背当ても一緒に縫いあわせ、おんぶひも全体の組み立てをはじめます。
まち針一本使わないおんぶひもの縫製は、縫いしろも手先の感覚ひとつで均等に折り入れながら縫いつけてゆきます。
洗濯表示も縫い付けられました。
おんぶひもは洗濯ネットにいれて洗濯機で丸洗いすることができます。頭あては取り外して、手洗いしてくださいね。
先に完成させておいたDカン用のクッションとプラスチックのDカン本体をそれぞれ腰ひもの端へ縫いつけてゆきます。
ミシンのパーツとDカンがぶつかるぎりぎりのラインで針を進めるためには、プロしか知り得ない「コツ」が必要。
腰ひもが完成したら、次は肩ひもをつくります。白色の生地は、肩ひもに張りをもたせ、かつ強度を高めるための「芯」とよばれる裏布。
職歴40年のこの縫い手さんは、指先を生地にぴったりと添えながら数メートルもある肩ひもにすいすいとミシンを走らせていました。
手ぎわのスムースさに思わず見とれてしまいます。
途中からクッション材もいれてゆきます。厚みが違うところをミシン目を揃えて縫うのは難しいのですが、長い帯状の布を印もつけずにすいすい縫っていくのです。まさに職人技です。
縫い終わった帯をみるときれいな等間隔でミシン目が揃っています。
本体と肩ひもをつけている部分には三角の力布(ちからぬの)を取り付けて強度を高めます。その後、頭あてと本体をつなげる部分に固いホックが打ち込まれます。ホックが赤ちゃんの背中に当たると不快なので、これをカバーするクッションを縫いつけたら、本体はほぼ完成です。
先に完成させておいた頭あてと背当てに双方をつなげるためのホックを打ち込みます。
完成
頭あてと背当てを組み合わせたら、ついにおんぶひもの完成。
念入りな検針と検品を終えると、あとは北極しろくま堂の配送センターへ納品されるのを待つだけです。
おんぶひもの発見
今はこんなものを使う人はいませんよ
北極しろくま堂がおんぶひもを作り始めたのは2002年のこと。お客さまからこんな形(ファックスで絵が送られてきた)のおんぶひもはありませんか? という問合せがありました。
そのようなおんぶ紐(子守帯という)を作ってくれる工場を探しました。インターネットに情報が網羅されていない時代。まだ電話帳が生きていた時代です。当時、小岩に老舗の工場があることがわかり、電話番号を調べて電話してみました。
「こういう昔のおんぶひもがほしいんですが。」
「うちには昭和30年代の型紙があるからね、作れますよ。でもね、今はこんなおんぶ紐を使う人はいませんよ。」
それでも、と諦めずに交渉を続け、21本のおんぶひもができあがりました。当時はまだDカンが金属にプラスティックを巻いたものでできており、『昭和』を感じたことを覚えています。
おんぶひもを使う人は確かに少なくなったのかもしれません。でも、製造販売を始めてからわかったのは、おんぶひもで外出する人が少なくなっただけで、おんぶという育児行為は脈々と続いていました。
日本のおんぶは赤ちゃんが肩越しに大人のやっていることを見学できるという、教育にもたいへん優れた方法です。これが千年の時を越えて続けられてきたのは、子どもにとってよいものだったからでしょう。
北極しろくま堂では日本のおんぶはいいよ、とつぶやき続けていきます。