哺乳類は赤ちゃんのうちはほとんど親にくっついて生活します。ヒトの場合は体毛がないので連れて歩くのもたいへんです。だから古代人もなにか使っていたと考えられていますが、それが「スリング」なのです。

ベビースリングは他の抱っこひもと違い、身体の正面で抱っこするだけでなく身体の側面で骨盤に乗せるように抱っこできるのが特徴です。この体勢が子どもが社会で生きていくための基盤を形づくると考えられています。

腰抱きできるとなぜそんなにいいのか?

骨盤にのせるような「腰抱き」ができる抱っこひもの代表格はスリングです。新生児の頃は正面に抱きますが、首すわり頃には体側に抱っこ(腰抱き)しても構いません。乳房が大きいお母さんなどは生まれてすぐに腰抱きに近い位置になることもあります。

腰抱きができると、赤ちゃんは母親(主に子育てをする人、愛着の対象)の顔を斜め下から見上げると同時に,進行方向や会話の相手も見ることができます。親の表情と言葉、相手の発話など同時に観察できるのです。これが社会的参照の機会を多くし、人間社会で生きるための手がかりを多く与えると考えれています。

人間は協力し合って生きている動物

ヒトは動物としてはとても弱い存在なので、知恵を生かしながら集団で協力するという戦略をとってきました。協力して生きていくためには、相手がなにを考えているのかを察する能力が必要になります。
そのために相手の表情だけでなく声色や態度をみて、状況を把握するという能力に長けています。
小さい頃からこの状況を観察できるのが、スリングで抱っこされた状態なのです。Taylor(2010)は「私たちを人間にするスリング」と言っています。

『ヒトはなぜ協力するのか』

人が周囲の人の様子をうかがったり,相手がなにを考えているのかわかることは,社会集団で生きていくために必要不可欠な能力だと考えられています。表情や態度などの言葉以外の手段で相手を理解することは重要な能力です。

成長するまでに長い時間と労力がかかる

人は生理的早産で生まれてくる、と言われますが、実際に歩けるようになるまでに1年以上かかり、社会人として生きていけるようになるのに15年以上かかります。こんなに長くかかる動物は他にいません。
逆に考えると、成長に長くかかるということは、それだけ複雑なことをしているということになります。生きていく環境がもっと単純なら、そのスキルさえ身につければOKなわけですから。餌を採る方法、敵から逃げる方法、とか。

長くかかる理由はさまざまな学問分野で研究されていますが、結論は出ていません。きっとずっと”仮説”のままだと思います(そういうもんです)。

言葉の発達とあうんの呼吸

人はか弱く人間社会はそんなに単純ではないので、結局は頭を使って考え、周りの人たちと協力するために会話をするという方法を選択し、今に至っています。

そういう社会で生きていくために長い時間をかけて子育てするわけですが、「(生活を営むうえでの)任務を遂行するあいだ、乳児を安全かつ近くにおいておきたいという欲求と必然性」(Berecz et al., 2020)によってさまざまな運搬具が作られてきました。そのなかでスリングの形状はもっとも手軽で広範囲で使われていました。

スリングは親の顔も見えるので、都合がよかったのでしょう。
言葉の発達はものを扱ったり見たりした経験に促されるようですが(詳しくはこちらの記事)、スリングで抱かれながら相手の表情を読み取ったり会話のテンポを知ることができるのは好都合だったと思われます。

ヒトの特徴

人間は他の動物にない巨大で複雑な社会をつくりあげ、多数の人と関わりあいながら生活している動物です。

毛がない!

ヒトは他の霊長類とちがって毛がないことが大きな違いです。歩けるようになるまでに1年以上もかかるにもかかわらず、しがみつくことが難しくなり、抱いたりおぶったりしないと移動できません。でもヒトの赤ちゃんは生理的屈曲によって体側にうまくフィットするように適応していて、自分の頭や上半身が支えられない頃から抱かれやすくなる代償動作を行うことができます。

バングラデシュの子どもと赤ちゃん。抱きやすいように抱いている。

Infants are preadapted to fit well to the hip by way of physiological flexion and make reflexive compensatory actions long before they have the physical strength to be unsupported at the head, neck, and upper torso.

B. Berecz, M. Cyrille, U. Casselbrant, S. Oleksak, and H. Norholt, Carrying Human Infants--An Evolutionary Heritage, Infant Behav. Dev. 60, 101460 (2020).

日本人にはあまり該当しませんが女性のお尻に肉がつくことも、赤ちゃんを抱っこ(おんぶ・運搬)する利点であり、乳児を体側やお尻にしがみつかせる(アフリカのおんぶはお尻の上に赤ちゃんを乗せる)ことと関連しているかもしれません(Berecz et al., 2020)。

ルワンダのおんぶ(Back Carry)の様子
アフリカ全般で行われている背面での運搬。布を縛らずに巻いて支えている。

ひとりにしておけないか弱いヒトの赤ちゃん

では、他の動物のように赤ちゃんをどこかに隠しておいて食べ物を獲ってきて育てればいいじゃないか、というアイデアもあるでしょう。ところが『ヒトは食べられて進化した』という本にたくさんの事例が紹介されているように、ヒトの赤ちゃんは他の動物にとっては恰好の餌食、隠しておいておくのは難しいのです。初夏に巣をつくる燕を近くで観察したことがある方も多いと思いますが、ヒナは親がいないあいだは静かにしていますよね。ヒトの赤ちゃんも母親が近くにいるとほとんど泣かないという性質がありますが、全く泣かないというわけではなく、ましてやお母さんが採集に行っちゃったりしたら大きな声を出すでしょう。

日本には江戸時代から子守り制度ができて幼い子が赤ちゃんをみるということもあったし、西アフリカのある村では数家族が共同で生活をしている中で、手が空いてるひとが赤ちゃんをみるということもしているようです。
いずれにしても、赤ちゃんをひとりにして育てなかった、というのが進化の視点からみた赤ちゃんの育て方です。

まとめ

世の中にはさまざまな抱っこひもがありますが、スリングのような斜めにして抱いたり降ろしたりするのが簡単にできる形状は、人の子育ての必然から生まれたものだと考えられます。
抱っこしていることが必ずしも良いことばかりではありませんが、抱っこするのであればどんな利点があるのかを考えて抱っこ紐を選ぶのもアリだと思います。

この記事は以下の論文や書籍を参考にしました。

  • Carrying human infants – An evolutionary heritage (Bernadett Berecz, Mel Cyrille, Ulrika Casselbrant, Sarah Oleksak, Henrik Norholt,Infant Behavior and Development 2020)
  • 『ヒトは食べられて進化した』(ドナ・ハート&ロバート・W・サスマン著 伊藤伸子訳 化学同人,2007)